OVERDRIVE最終作「MUSICUS!」の感想

はてブロなんか開設したんだったな、と数年ぶりに思い出した。

最後の投稿から3年経っている。

3年前は転職しようと勉強をしたりしていたが、なんやかんやであの時と変わらず新卒で入社した会社でまだ働いている。生活面では、某雪国から転勤で東京に引っ越し、多くのサラリーマンがそうであるように満員電車通勤に心と身体をすり減らしながら働いている。

 

いきなりなんでエロゲの感想かというと、理由は単純で、今年のGWは外出自粛で暇だったからだ。今年のGWの僕の連休は5日間。そこで何かひとつゲームでも本でも何でもいいから一つの物語を体験したい、と思ったのが理由だった。ゲームでも本でも、仕事終わりにちょっとずつ進めるとどうしても中断が入り物語に没頭できない。やっぱり物語のはじめから終わりまで一気に駆け抜けたほうが物語を堪能できる。

そこで、僕が選んだのがOVERDRIVEのエロゲ最終作である「MUSICUS!」だった。

「キラ☆キラ」は大学時代に第二文芸部の曲から入ってプレイした。シンプルなパンクロックに爽やかな歌詞を乗せたポップな女性ボーカルという曲は自分の好みなので今でもよく聴いている。

そして、MUSICUS!自体は「キラ☆キラのOVERDRIVE最終作」というクラウドファンディングをやっているのを見て一時期支援しようかどうか悩んでいたが、最終的に製品版が出るということでクラウドファンディングで支援するのは止めた。そしてその後はその存在を忘れていた。

 

話は変わるが、僕は音楽が好きだ。

その中でもパンクロックだとかメロコアだとかそういう音楽を好んで聴き、ライブやフェスにもちょくちょく行く。高校生のときは夜中に放送されていたアニメ「BECK」を観てバンドへの憧れを抱いていたし、バンドをやっている友達の家に遊びに行ってメンバーが歌詞を書いた紙を壁に張ってギターを弾きながら練習しているのを見るのが好きだった。大学に入ってからは通販で安いギターを買って密かに練習をしていた。ただ、軽音サークルだとかそういうものに入る勇気が当時の僕には無かったので、家でTAB譜を見て弾きながら一人でニヤニヤするくらいだった。自分がバンドに入ることはしなかったが、そういうふうに音楽・バンドは自分の周りにあったし、今もある。

だけど、ここ最近は新型コロナウイルスの影響でチケットを取っていたバンドの来日公演が延期になったり、ライブハウス自体の廃業が問題になったりして生活から音楽が少しずつ消えていっていた。まあ、そりゃあ病気が流行ってるから仕方ないんだけど、やっぱり楽しみにしていたバンドのライブが無くなると寂しいんだ。

 

何の話だったっけ…ああ、そうだ。「MUSICUS!」の感想だ。

というわけで、「音楽」をテーマに据えたMUSICUS!をプレイすることは、この「音楽」が不足している今の自分の状況にちょうど良かったんだと思う。


OVERDRIVE 最終作「MUSICUS!」CM映像

 

話の詳細は書くと長くなるので止めておく。

以下、各ルートについて僕の感想を。

僕の巡った順序としては、

三日月ルート→めぐるルート→澄ルート→弥子ルート

でした。

 

弥子ルート

言うなれば「バンドマンにならなかった一般人ルート」。

バンドに衝撃を受けた主人公もひと夏終わった後はきっぱりと音楽から足を洗い、大学という社会のレールに復帰するのである(しかも医大生という一般的に見てもかなりのエリートコースに)。

話として、「音楽の力」はクラスを団結させる。だけど、言うならばそれだけなのである。でも、これは多くの受け取り手側には響くのではないか?

弥子ルートでは主人公は「何者でもない」受け取り手自身に重なるのではないか?だって僕らは当たり前のように進学して当たり前のように卒業し、多くの人が普通の会社員として生活している。

学校の卒業という明確な終わりを描き、EDではこれから先にある新たなスタートに希望を見る。わかりやすい流れだが、誰でも分かる分多くの人に受け入れるのではないか?

 

めぐるルート

一番わかり易く「音楽の力」的なものを描いたルートかな。

ずっと謎の多かっためぐるの過去について唯一語られるルートだけど、あまりにも綺麗にまとまり過ぎていて引っかかるところが無いというか…

他の人の感想にもあるように、このルートでは主人公の中の是清の影も薄くて、「音楽とは?」みたいなことをいろいろ考えるというのでもないのでそう感じるのか。

 

澄ルート

所謂「バッドエンド」。

このルートは全く共感できなかった。ただ、そう感じるということは「全てを捧げるくらい何かに人生を打ち込んだことがない」ということになるのかな、とは思う。

バンドじゃなくても何かに全てを捧げたことがある人には共感できるのかもしれないけど…

 

三日月ルート

このルートがTure endなんだとは思うが、正直やってる途中は「これBad endに入っちゃったんじゃない?」と思いながら進めていた。

だって、バンドメンバーでもない生意気な高校生天才プロデューサーが急に出てきたら「お前誰だよ」ってなるじゃないですか。というわけで、プロデューサーが出てきたあたりからは「このプロデューサーの言うとおりにしたらBad endで終わるな」とハラハラしながら読み進めていた。やっぱり話を綺麗にまとめるには、「生意気なプロデューサーからのオファーを断って自分たちの力だけで成功」というのが一番だとは思う。でも、結局「このプロデューサーと一緒にやらずにインディーズに戻る」という選択肢は無くて、このルートはそのまま最後まで進む。

まあ、その後成功して色々あってバンドが休止したり、最後には再開したりするんだけど、プレイしてる僕としては「いつ三日月が自殺するんだ…」と怯えながら進めていた。

この不安がどこからくるのかというのを考えると、理由は、物語の根幹とも言える「音楽とは?」というところへの主人公のスタンスが確固としたものじゃなかったからだと思う。主人公が音楽へのめり込んだ理由である「音楽に物語は必要か」というところの回答が明確に示されないまま話が進むので、受け取り手としては「花井是清が言ってたことは正しいのか?」ということに決着がつかないのでモヤモヤするんじゃないだろうか。

そして、最終的にこの質問に対する回答は明確には打ち出されていないように思う。でも、それは主人公たちが悩みながら進んだということの表現なのかなとも感じた。このルートに入った後でも主人公(と三日月)は「音楽」について悩みもがき続ける。一応EDで一つの可能性としての回答は示されたけど、結局それは花井是清が思っていたことと違うのかもしれない。そしてED後の世界で、再始動したDr. Flowerはまた悩みもがきながら進むということなのではないだろうか。つまりはto be continueということか。

 

最後に

作中でも「音楽に物語は必要か?」という問いかけが幾度もあるが、これは別に音楽だけに限らないと思う。このMUSICUS!の物語自体をプレイする受け取り手も、一人ひとりのこれまで歩んできた人生は異なっている。なので、共感できるポイントも違えば抱く感情も異なっているだろう。

例を挙げれば、普通に進学・就職したような人は弥子ルートに「そりゃ学校辞めて音楽なんて選べないよな」と共感する人が多いのでは?と思うし、バンドをしている・していた人にとっては三日月ルートが「これはバンドやってるとあるある」と一番ぐっとくるのではと思う。

僕自身は上記のように音楽は好きで、人生の辛い時に音楽を聴いて励まされたり嫌なことを忘れられたりした経験はあるが、普通に進学してサラリーマンをしている。

なので、僕自身にはバンドマンの心情・体験は分からない。だから、弥子ルートで「まあそうだよな。進学しとくに越したことはないよな」と思うわけだ。

もし僕がバンドマンだったらバンドマンルートに自分を重ねたのかもしれない。

 だからといって、バンドマンになるルートが楽しめなかったかというと、そういう訳でもない。バンドマンルートは「自分とは違うあるバンドマンの人生」というような俯瞰した見方で楽しむことができたと思う。

詰まるところなにかというと、「なかなか楽しめた」ということである。5連休中の3日ほどを費やして全EDを見終わった後は「もしかして自分もあの時バンドを始めていればこういう人生もあったのかな?」と徹夜明けの朝日を眺めながらしんみり考えたりしたわけだ。

その人が生きてきた人生そのものがその人の音楽や物語なのだ、的なことが語られるが、ということが、その人生が続く限りその人の物語も続くということだ。

三日月ルートでバンドマン人生を続ける主人公達のように、平凡なサラリーマンである僕自身の人生は明日も続いていくのだ。それは音にはならないけど、僕の心に流れる「音楽」になるってことなのかな。

 

MUSICUS!自体も「OVERDRIVEの最終作」という物語がある。最終作ということは「MUSICUS!2」が作られる可能性は限りなく低いということだ。つまり、Dr. FlowerがEDの後にどのように進んでいくかを観測することができないということだろう。だけど、願わくば良い音楽を。

 

というわけで、ライブハウス閉鎖だとかライブのキャンセルだとかで、音楽が不足した僕の心に潤いを与えてくれる作品だったと思う。

ああ、このコロナウイルス騒動が落ち着いたらライブハウスに行って大音量の音楽に身を委ねたいな!